2022年7月8日の安倍元首相に起こった銃殺事件について、ひきこもり社会不適合者の世捨て人で政治に全く興味も関心もない自分は、基本的には「首相在任中からバッシングをされ大変な思いをされていた安倍さんには安らかに眠って欲しい」としか思うことはありません。
自分は左派も右派も関係なく政治自体が非常に下らないものだと思っているので。
ただ、今回の事件は政治という範疇を超え日本において「無敵の人による勝ち組殺し」が本格化するきっかけの出来事ではないかと思い始めています。
銃社会のアメリカでは学校での銃乱射事件などがたびたび発生しており、リア充への鬱屈した感情をこじらせた非モテの陰キャ(アメリカではナードと呼ばれる)が、教室で銃を乱射し生徒を大量殺傷する惨劇が繰り返されています。
アメリカと同様に日本においても貧乏人が富裕層を殺す、底辺が勝ち組を殺す、非モテがリア充を殺すという事件が今後非常に増えて来るのではないでしょうか。
安倍政権の方針自体は所得再分配の強化などの統計データから、実際はどちらかと言えば左寄りの政策だったと自分は考えています。
しかし、世間ではむしろ「格差社会の象徴」「自己責任論の象徴」「上級国民の象徴」として安倍元首相が敵視される風潮が広がっており、氷河期世代で無職の「無敵の人」によって今回のテロが実行される事態に至ってしまった。
今回の出来事はこれから始まる無敵の人による勝ち組殺しの序章になるのではないでしょうか。
もちろん今までも宅間守による2001年の附属池田小事件。
宅間は取り調べで、事件を起こした理由について「エリートでインテリの子をたくさん殺せば、確実に死刑になると思った」などと供述していた。
富裕層家庭の子供が多いカリタス小学校の生徒を狙った2019年の川崎市登戸通り魔事件。
創作活動で自作品が落選し逆恨みから人気アニメ制作会社を狙った2019年の京都アニメーション放火殺人事件。
幸せそうな女性に殺意を抱いての2021年の小田急線刺傷事件。
容疑者の男は捜査本部の調べに対し、「6年ほど前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」と女性に対して強い殺意を持っていた旨の供述を繰り返した。
そしてキラキラ都会の東京のイメージに憧れ(田舎者は負け組で東京暮らしは勝ち組という世界観)、渋谷ハロウィンに合わせて九州地方から上京し東京都民を襲った京王線刺傷事件。
など社会の底辺による漠然と勝ち組を狙ったテロ犯罪は繰り返されていましたが、無敵の人による明確に特定の一個人にターゲットを定めての「上級国民殺し」「勝ち組殺し」は今回が初めてではないでしょうか。
ただ、2019年の東池袋自動車暴走死傷事故に際して多くのネット民がSNSで飯塚幸三被告を激しく糾弾した事例を見れば分かるように、日本において「上級国民」「勝ち組」「富裕層」などへの憎悪は高まり続けており、そのような私刑がネットではなくとうとう現実で行われるに至ったのが今回の安倍元首相銃殺事件の本質です。
つまりフランス革命において市民が王族を次々とギロチンにかけ処刑したような下剋上行為が、上級国民や勝ち組に対して行われようとしてるのが、これからの日本なのです。
SNSフォロワー数や注目度に比例して高まる攻撃のリスク
今回の事件で犠牲になった安倍元首相は国家の要人ということでSPに警護されていましたが、それでも無敵の人の凶行を阻止することは出来ませんでした。
SPの不備や対応の拙さなどが色々と言われていますが、それでも一般市民と比べれば遙かに万全の体制で守られていた中での犯行でした。
インフルエンサー・芸能人・セレブ・著名人・有名人などが安倍元首相と同様に無敵の人の憎悪と殺意のターゲットとされた時、危険を回避し身も守ることは現実的にほぼ不可能です。
SNSに何万人ものフォロワーがいて世間に広く存在を知られていれば、そのうちに何人かは今回の事件のように強烈な憎悪と殺意を燃え滾らせていてもおかしくありません。
実際に有名YoutuberのHIKAKINもこのように生配信中に不審者からの突如の襲撃を受けており、もしも犯人が凶器などを持っていれば放送事故で済まずに殺されていました。
HIKAKINさんの放送事故、相手が殺意とかあって刃物とかも持ってたら手遅れだね、もっとスタッフも早く対応すべきだと思う。#ヒカキン#放送事故 #HIKAKINさん pic.twitter.com/bLUN0Arlib
— モンストちゃん (@Nekura_no_guti) August 14, 2022
有名であればそれだけ頭のおかしい奴に標的にされるリスクが高まるということです。
また、たとえ実名を公開しない活動であっても多くの注目や憎悪を集める存在であれば、アンチに住居や個人情報まで特定されて嫌がらせや攻撃を受けるリスクも高まります。
30万人のフォロワーがいながら、住所特定や自宅突撃を受け復活に失敗した大物YouTuberのSyamuさんなども、まさにそのような事例の典型です。
SNS社会である現代では、SNSフォロワー数や注目度に比例して、自分を憎悪する存在から物理的・精神的に致命的な攻撃を受けるリスクも高まるのです。
競争に勝ち金持ちや勝ち組になっても無敵の人に殺される地獄
2000年代以降の日本社会では、競争社会と自己責任論の息苦しい空気が世間を支配するようになりました。
弱い者は淘汰されるのが当たり前。そして生き残るためには強くなって勝たなければいけない。
しかし、そのような世間の風潮に従い競争に勝ち有名になったり大金を稼いで勝ち組となったとしても、無敵の人による「勝ち組殺しテロ」の標的にされる。
競争に負ければ生き残れないし、競争に勝っても憎悪されて殺される。
この日本はどこにも逃げ場のない地獄の世界になろうとしているのです。
ヒャッハーとモヒカンの跋扈する北斗の拳のような修羅の世界では勝ち組にも負け組にも心の休まる間もない地獄しかありません。
「自己責任論」と「競争至上主義」の構造的限界
結局のところ日本社会は「自己責任論」と「競争至上主義」の構造的限界に直面しているのだと思います。
自分で自分の身を守れ。弱者なんて切り捨てろ。
しかし、その先にあったのが政治家・インフルエンサー・芸能人・セレブ・著名人・有名人などの勝ち組が無敵の人テロの標的にされ自分の身も守れなくなる地獄のような社会という皮肉。
この絶望の連鎖を断ち切るには「自己責任論」と「競争至上主義」の考え方を180度変えるしかありません。
責任と競争から降りてひっそりと生きる賢者の生き方
ここで主語を大きくして「社会を変えろ」とか「政治を変えろ」という主張になるのが左翼ですが、しかし私の場合は政治自体に全く興味も関心もないので、そういう考え方はしません。
社会や政治を変えるよりも自分の考え方を変えてしまえばいいのです。
自分一人が勝手に過酷な競争社会や重い仕事の責任から降りてひっそりと生きる。それで自分の不満も解消しますし問題も解決します。
競争社会から降りた無名の底辺なら誰からも攻撃のターゲットにされることはありません(運悪く巻き込まれる可能性はありますが、安倍元首相のようにわざわざ狙われることはないでしょう)。
Syamuさんの場合は30歳童貞ニートなのにモテモテのスターになりたいと身の程知らずの野望を抱いて大物ぶったりしたのが炎上晒しの原因でした。
YouTubeで生計を立てるなどという虹の上を歩くが如し幻想にしがみつき
ファンの助詞と恋にハッテンなどという絵空事を実像と錯覚し
30歳高卒無職が握手会を思い描く夢と現が逆転した貝塚ネバーランド
童貞でも無職ニートでも障害者でも身の程を弁えて親のスネを齧ったりなどしながらひっそり生きればいいのです。
万が一頼れる家族や親族などがいなければ生活保護を受給しても全く問題ありませんし、誰からも責められる理由もありません。
幸いにして現在の日本は何だかんだで物質的には非常に豊かな社会です。
戦後間もなくの日本やアフリカ諸国などとは違い、ひきこもり無職ニート派遣社員フリーターなどどんな底辺でも餓死したり路上で野垂れ死ぬ可能性は非常に低いです。1億人以上の国民がいて年に数回くらい引きこもり餓死者の事件がニュースになるくらいです。
全国のホームレスの数も日本経済が停滞し続けたこの20年間ですら約5分の1以下になるなど大幅に減少し続けています。
全国の人数は2003年の25,296人以降、徐々に減少してきている。2011年には、半数以下の10,890人、2012年には1万人を切って9,576人、それ以降もさらに減り、2019年には4,555人となっている。
日本は物質的経済的には十分に豊かですし、そしてホームレスなど生活に困窮するレベルの本当に深刻な貧困層は減少しているのです。
結局のところ自分が勝手に競争社会からひっそりと降りて、お金を使わないけどほとんど働かない貧乏セミリタイア生活をしたり、実家暮らしで親のスネを齧ってひきこもりニートになれば、余裕で生きて行けて楽な人生が送れます。
実家が持ち家なら月5万円も収入があれば親の死後も普通に快適に生きていくことができますし、その程度のお金を稼いで生きていくだけなら過酷な競争に勝ち抜く必要もありません。
幸い日本は無料の娯楽コンテンツの質は世界トップですので、ひきこもりニートでもネットさえ使えれば楽しめますし飽きることもありません。
自分がそうやって勝手に競争社会を降りてひっそりと生きれば、それを見た他人も競争社会の馬鹿らしさに気付いて真似するようになるでしょうし、左派的な政治活動などしなくても自然と世の中は変わっていきます。
以下の記事で紹介している「30歳1000万円でリタイア」のミクさんなどもそのような競争社会から降りた賢人の一人でしょう。
「彼女が欲しい」「結婚したい」とかの不必要なこだわりや執着さえ捨てればこの世界は想像以上に余裕です。
世間に流されて誰が決めたのかも分からない「人並みの幸せ」を追い求めてしまうから人生は苦しくなってしまうのです。
現代の日本は何だかんだで非常に豊かな社会なのですから、不要な執着さえ捨てればほぼ誰でも幸せになれます。
特に男性にとって恋愛や結婚は不要な執着の際たるものです。その執着を捨てることで人生はお気楽な天国に大きく近づきます。
自己責任論も競争至上主義も行きつく先は地獄でしかありません。
下らない自己責任論などに流されず、「利用できる物は利用する」「頼れる相手には頼る」精神で賢く親のスネを齧って子供部屋おじさんとして生きてしまえばいいのです。
そうやってあなたが親の経済力に頼ってスネを齧る代わりに、自分も出来る範囲で困っている誰かを助けてあげればいい。
何も大仰に社会貢献とか社会問題を解決するとか考える必要はありません。それぞれが自分の半径5メートルくらいの周囲の人間を助ければいい話です。
一人一人がそういう考えでいた方が、自己責任論と競争至上主義のはびこるこの日本もよっぽど良い世の中になるでしょう。
とっとと馬鹿らしい競争社会から降りてひっそりと生きる賢者になりましょう。
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老の言葉
最後にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」からゾシマ長老の言葉で記事を締めたいと思います。競争社会や自己責任論の議論についてはこれが究極の答えだと思います。
今すべての人はできるだけ自分を切り放そうと努め、自分自身の中に生の充実を味わおうと欲しています。
ところで、彼らのあらゆる努力の結果はどうかというと、生の充実どころか、まるで自殺にひとしい状態がおそうて来るのです。なぜと言うに、彼らは自分の本質を十分にきわめようとして、かえって極度な孤独におちいっているからです。
現代の人はすべて個々の分子に分かれてしまって、だれもかれも自分の穴の中に隠れています。だれもかれもお互いに遠く隔てて、姿を隠しあっています。持ち物をかくしあっています。そして、結局、自分で自分を他人から切りはなし、自分で自分から他人を切りはなすのがおちです。
ひとりひそかに富をたくわえながら、おれは今こんなに強くなった、こんなに物質上の保証を得たなどと考えていますが、富をたくわえればたくわえるほど、自殺的無力に沈んでゆくことには、愚かにも気づかないでいるのです。なぜと言うに、われひとりをたのむことになれて、一個の分子として全を離れ、他の扶助も人間も人類も、何ものも信じないように、おのれの心に教えこんで、ただただおのれの金やおのれの獲得した権利を失いはせぬかと、戦々兢々としているからです。
真の生活の保障は決して個々の人間の努力でなく、人類全体の結合に存するものですが、今どこの国でも人間の理性はこの事実を一笑に付して、理解しまいとする傾向を示しています。
しかし、この恐ろしい孤独もそのうちに終わりを告げて、すべての人が互いに乖離するということが、いかに不自然であるかを理解する、そういった時期が必ず到来するに相違ありません。そういった時代風潮が生じて、人々はいかに長いあいだ闇の中にすわったまま、光を見ずにいたかを思って、一驚を喫するに相違ありません。
『カラマーゾフの兄弟』ゾシマ長老の言葉
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